腹痛


大体記事を更新するときは、精神的に何かあった日なのだけれど、読み返すとわたしは本当に人としての成り立ちがネガティヴなんだなあと思う。

落ち込むたびに死ぬことについて考えているのは昔からなのだけど、最近自分がそのうちふらっと死にそうで怖い。


死にたいんじゃないのか、と聞かれるとまあそうです、と答えるしかないけれど、どうしようもなくつらくて生きていたくないだけで、それを終わらせるためのものが死というだけなのだ。別に怖い思いや痛い思いをしたいわけではないし、例えば飛び降りてぐちゃぐちゃになった自分のせいで迷惑をかけたいわけでもない。この理論は見る人から見ればワガママなのだろうか。


以前ツイッターか何かで、同じような思いの人のつぶやきを見たとき、死が身近にあるのは普通のひとたちにはない感覚、というのを見て大きく納得した覚えがある。

人はいつか死ぬのに、それを意識し始めるのは本当にバラバラなのだと思う。わたしの周りの友達は、全く死の匂いがしない。逆に、生きるという力強いパワーの子たちばかりで、時々本当にまぶしい。


わたしが翳りのある人の方を好むのも、いわゆる陽キャと呼ばれる明るいひとたちが苦手なのもそのあたりから来ているのかもしれない。どんな形であれ、死を見つめたことがあるような人間と話をしてみたいのだ。


わたしが死ねば、このブログは廃墟になるが、サービスが終了するまでは生き続けるだろう。それは、すこし興味があるなと思った。限られた時間であれ、インターネットで生き続けるというのは、わたしたちの世代の人間だったら憧れがあると思うから。